大判例

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東京高等裁判所 平成7年(う)118号 判決

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役一年一〇月に処する。

原審における未決勾留日数中九〇日を右刑に算入する。

押収してある供述調書三通(東京高等裁判所平成七年押第三〇号の1ないし3)の各偽造部分を没収する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人小笠原勝也が提出した控訴趣意書及び被告人作成の控訴申立書に記載されたとおりであるから、これらを引用する。

弁護人の控訴趣意は、要するに、原判決は、罪となるべき事実第三として、被告人は、窃盗未遂事件の被疑者として、千葉東警察署において取調べを受けた際、自己が犯した前記窃盗事件の刑責を免れようと企て、自己の氏名を甲野春夫と名乗り、いずれも行使の目的を持って、ほしいままに、平成六年六月一日、同月六日、同月一三日の三回にわたって、司法警察員に対する各供述調書の供述人署名欄にボールペンで「甲野春夫」と記載したうえ、その名下に自己の左示指で指印した、との事実を認定しているが、「自己が犯した前記窃盗事件の刑責を免れようと企て」る意思はなかったし、無理やり指印させられたもので、自己の意思に基づいて指印したことはなく、原判決には、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認があるというのであり、被告人の控訴趣意は、被告人を懲役二年の実刑に処した原判決の量刑は重すぎて不当であるというのである。

論旨に対する検討に先立ち、職権をもって、原判示罪となるべき事実第三に関する審理手続について検討する。

原審記録によると、原判示第三の事実に対応する起訴状の公訴事実は、

「被告人は、窃盗未遂事件の被疑者として、千葉東警察署司法警察員警部補丁海太郎から取り調べを受けた際、知人甲野春夫の氏名を詐称し、自己が犯した別件窃盗事件の刑責を免れようと企て、自己の氏名を甲野春夫と名乗り、行使の目的をもって、ほしいままに

第一  平成六年六月一日、千葉市若葉区小倉町八五九番地二所在の千葉東警察署において、右丁海警部補が作成した同日付の被疑者供述録取書末尾の供述人署名欄にボールペンで「甲野春夫」と記載した上、その名下に、自己の左示指で指印し

第二  同月六日、同所において、右丁海警部補が作成した同日付の被疑者供述録取書末尾の供述人署名欄にボールペンで「甲野春夫」と記載した上、その名下に、自己の左示指で指印し

第三  同月一三日、同所において、右丁海警部補が作成した同日付の被疑者供述録取書末尾の供述人署名欄にボールペンで「甲野春夫」と記載した上、その名下に、自己の左示指で指印し

もって他人の署名を偽造したものである。」

というものである。

このように、右起訴状は、被告人が「甲野春夫」と冒書した点のみならず、その名下に自己の左示指を指印した点をも公訴事実中に記載しており、加えて、その罪名を私印偽造としている点からすると、署名偽造のみならず、私印偽造をも訴因としているものと解せられないではない。しかしながら、被告人の行為が刑法一六七条一項に該当する場合には、それが署名偽造であっても、罪名は「私印偽造」とするのが一般的な扱いであるうえ、検察官は、右の公訴事実を「もって他人の署名を偽造したものである。」として、しめ括っていることに照らせば、被告人が他人の署名を偽造した点のみを訴因として起訴しているものと認められ、その名下に自己の左示指で指印したという点は、署名偽造の犯情として記載されたにとどまり、厳密にいうならば、いわゆる余事記載にあたるものということができる。

ところが、原判決は、罪となるべき事実第三として、右の公訴事実と同様の事実を認定しながら、その摘示において、「もって他人の署名を偽造したものである。」という記載を欠落させているため、罪となるべき事実を署名偽造に限局する趣旨かどうかは明らかでなく、かえって、法令の適用において、各供述調書の署名指印部分を偽造部分として没収する旨を摘示していることからすると、原判決は、署名の偽造に加えて、被告人が左示指で指印したことをも捉えて、他人の印章を偽造したものと認定し、罪となるべき事実として、これを摘示しているものと考えられる。

そうだとすると、原判決は、署名偽造の訴因に対し、署名偽造のほか、私印偽造をも罪となるべき事実として認定判示したことになるが、署名偽造も私印偽造も同一罰条内で評価される行為とはいえ、追加的に認定された私印偽造の部分は、当初の訴因の範囲を超えるものであるので、このような認定をするためには、訴因の変更手続等の措置がとられる必要があるというべきところ、原審において、このような措置がとられたことは、記録上窺われない。

したがって、原判決には、検察官が起訴する意思がなく、単に事情として記載したにすぎない事実につき、訴因変更等の手続を経ることなく、これを犯罪事実として認定した訴訟手続の法令違反があるというべく、この違反が判決に影響を及ぼすことは明らかである(なお、被告人が自己の左示指で指印した行為が他人の印章を偽造したことになるのかどうかは問題であり、原審としては、むしろ、署名偽造の限度で罪となるべき事実を認定すべきであったと思われる。)。

そこで、控訴趣意についての判断を省略し、刑事訴訟法三九七条一項、三七九条により原判決を破棄したうえ、同法四〇〇条ただし書により、被告事件について更に判決する。

(罪となるべき事実)

原判示罪となるべき事実第三を、

「窃盗未遂事件の被疑者として、千葉東警察署司法警察員警部補丁海太郎から取調べを受けた際、知人甲野春夫の氏名を詐称し、自己が犯した別件窃盗事件の刑責を免れようと企て、自己の氏名を甲野春夫と名乗り、いずれも行使の目的をもって、ほしいままに

一  平成六年六月一日、千葉市若葉区小倉町八五九番地二所在の千葉東警察署において、右丁海警部補が作成した同日付の被疑者供述録取書末尾の供述人署名欄にボールペンで「甲野春夫」と記載し

二  同月六日、同所において、右丁海警部補が作成した同日付の被疑者供述録取書末尾の供述人署名欄にボールペンで「甲野春夫」と記載し

三  同月一三日、同所において、右丁海警部補が作成した同日付の被疑者供述録取書末尾の供述人署名欄にボールペンで「甲野春夫」と記載し

もって他人の署名を偽造し」

と改めるほかは、原判示(罪となるべき事実)のとおりである。

(証拠の標目)

原判示のとおりである。

(法令の適用)

適条及び併合罪の処理について、原判示のとおりとしたうえ、刑法二一条を適用して、原審における未決勾留日数中九〇日を右刑に算入し、押収してある供述調書三通(東京高等裁判所平成七年押第三〇号の1ないし3)のうち各偽造部分は、判示第三の各犯行によってそれぞれ生じたものであって何人の所有も許されないものであるから、いずれも同法一九条一項三号、二項によりこれらを没収し、原審及び当審の訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項ただし書を適用して、被告人に負担させないこととする。

(弁護人の主張に対する判断)

弁護人は、罪となるべき事実第三の各犯行に関し、被告人には、「自己が犯した前記窃盗被告事件の刑責を免れようと企て」る意思はなかっったし、指印の点については、無理やり指印させられたもので、自己の意思に基づいて指印したものではない旨主張する。

そこで、検討するに、関係証拠によれば、被告人は、窃盗未遂事件の被疑者として、千葉東警察署において取調べを受けていた当時、すでに判示第一の窃盗事件等の共犯者である乙山一郎及び丙川二郎が逮捕され、その者らから被告人の名前が出ていることを十分承知し、もし、被告人において本名を名乗れば、右の犯行等について警察から追及を受けるであろうことを十分認識していたと考えられること及び被告人が現行犯逮捕された窃盗未遂事件についても、逮捕時の状況等からみて、捜査官が被告人を窃盗未遂事件の被疑者として扱ったのはもとより当然であり、被告人がこれに対して納得いかなかったということは考えがたいことなどに徴すれば、被告人のその旨の弁解は信用しがたく、被告人が判示第一の万引き事件等の刑責を免れる目的で他人の名を騙り、署名の偽造に及んだことは明らかであると考えられる。

また、被告人が無理やり、指印させられたという点に関しても、被告人は、原審第二回公判において、六月一日付の供述調書の指印に関して「警察官がそこに指印するように言ったので、私が自分からしました。」と積極的に供述していること、それぞれの指印に無理やり押させられたような乱れは全くないこと、三通の供述調書を通じて、すべて被告人の弁解、自供を被告人の供述どおりに録取したものと認められること、被告人は、当審公判廷で、「甲野春夫」と署名したものの同人に迷惑がかかると考えて指印についてはこれを拒否した旨供述するが、すでに、同人の迷惑など顧みないで、名前を騙り、署名までしている状況に照らし、右供述はとうてい信用することができないこと等に照らし、被告人が、自らの意思で指印したことは明らかというべきである。

(量刑の理由)

本件は、遊興費等に充てるために、友人らと組んで、ブランド品の高額なバッグ類を集団万引きしたもの(第一の事実)、時計店で高額なネックレスを万引きしたもの(第二の事実)及び窃盗未遂事件の被疑者として取調べを受けた際、偽名を使って、三回にわたって、供述調書に署名の偽造を行ったというもの(第三の事実)である。被告人はかつて暴力団に加入し、無為徒食の生活を送るなどしていたもので、本件犯行も、このような生活状態の中で敢行されたものである。各犯行の罪質、態様、経緯、被告人の性向等に照らし、被告人の刑責は重いといわなければならない。

そうだとすると、被告人は若年で、前科はないこと、今では暴力団を離脱し、会社員として勤務し、会社の上司が釈放後の雇用を約していること、判示第一の罪については、被告人の利得にほぼ相当する金二〇万円を支払い、被告人と被害者との間に示談を成立させていること及び被告人が本件について反省していることなど被告人に有利とすべき事情を考慮しても、被告人を主文掲記の実刑に処することはやむをえないところである。

よって、主文のとおり判決する。

検察官 梅村裕司 公判出席

(裁判長裁判官 早川義郎 裁判官 門野博 裁判官 原啓)

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